文豪が描いた街、登場人物が生きた時代 書籍に息づく、かつての情景にふれてみませんか?

Vol.3

紅葉館(森鷗外「里芋の芽と不動の目」)・愛宕塔(徳富蘆花「不如帰」)・広尾町(永井荷風「墓畔の梅」)

製造所の創立第二十五年記念の宴会が紅葉館で開かれた。何某の講談は塩原多助一代記の一節で、その跡に時代な好みの紅葉狩と世話に賑やかな日本一と、ここの女中達の踊が二組あつた。それから響応があつた。 明治43年 森鷗外「里芋の芽と不動の目」

紅葉館(こうようかん)

明治14年(1881)、現在の芝公園4丁目に開業した料亭で、調度から室内装飾まで紅葉模様を使うという凝り様だったようです。
徳川家康開基の金地院境内だった所で、紅葉山という旧称に因んでその名が付けられました。会員制度で客筋が貴顕紳士に限られていましたが、高田早苗や市嶋謙吉などに伴われて、尾崎紅葉をはじめ硯友社一派の文士たちが行くようになったといいます。
現在は、東京タワーが建っています。

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草色の帷(カーテン)を絞りて、東南二方の窓は六つとも朗かに開け放ちたり。東の方は眼下に人蠢(うご)めき家累(かさ)なれる谷町を見越して、青々としたる霊南台の上より、愛宕塔の尖(さき)、尺ばかり露(あら)はれたるを望む。鳶ありて其上を盤(めぐ)りつ。 明治31年 徳富蘆花「不如帰」

愛宕塔(あたごとう)

明治22年、現在の港区芝愛宕町1丁目の愛宕山上、愛宕神社左手に建てられた五階建ての高塔です。旅館兼西洋料理店の愛宕館に付属していて、最上階は望遠鏡がある展望台でした。
愛宕館が廃業した後も、愛宕塔だけは大正まで残っていたようで、現在はNHK放送博物館になっています。

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四谷塩町から青山霞町を過ぎて広尾に至る市内電車の初て開通したのは久しからざる以前の事で、其時分笄橋から、広尾の麓を過ぎて三ノ橋に至る小流の岸にはむかしながらの郊外らしい田園の風趣が残つてゐた。 昭和21年 永井荷風「墓畔の梅」

広尾町(ひろおまち)

麻布区広尾町は、現在の港区南麻布5丁目にあたります。もとは「平尾」と呼ばれた原でした。電車が信濃町から天現寺〔多聞山・臨済宗〕前まで開通したのは明治39年3月。天現寺から中目黒までは大正13年11月に通じましたが、昭和44年に撤去されています。

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