文豪が描いた街、登場人物が生きた時代 書籍に息づく、かつての情景にふれてみませんか?

Vol.2

泉岳寺(夏目漱石「吾輩は猫である」)・飯倉片町(島崎藤村「嵐」)・狸穴町(島崎藤村「嵐」)

「此前の日曜に東風子が高輪泉岳寺に行つたんださうだ。此寒いのによせばいゝのに―第一今時泉岳寺抔へ参るのはさも東京を知らない、田舎者の様ぢやないか」「それは東風の勝手さ。君がそれを留める権利はない」「成程権利は正にない。権利はどうでもいゝがあの寺内に義士遺物保存会と云ふ見世物があるだらう。君知つてるか」「うんにゃ」 明治38年 夏目漱石「吾輩は猫である」

泉岳寺(せんがくじ)

万松山泉岳寺は、芝区車町(現在の港区高輪一丁目)にある曹洞宗の名刹です。寛永18年(1641)に外桜田から移されたもので、元禄16年(1703)2月に切腹した赤穂四十七士の菩提寺として知られています。
本堂左手の義士遺物館、主君浅野長矩の墓を囲む大石良雄以下義士の墓地は戦前の面影を残しています。

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あくる日も私は次郎と連立つて、麻布笄町から高樹町あたりをさんざん探し廻つた揚句、住み心地の好ささうな借家も見当たらず仕舞ひに、空しく植木坂の方へ帰つて行つた。いつでもあの坂の上に近いところへ出ると、そこに自分等の家路が見えて来る。 大正15年 島崎藤村「嵐」

※植木坂:麻布永坂町と麻布飯倉片町を南北に分ける坂。
現在の麻布永坂町と麻布台三丁目の境界にある。

飯倉片町(いいくらかたまち)

麻布飯倉片町は、現在の六本木5丁目と麻布台3丁目の各一部に当たります。飯倉という地名は、穀物を保存する倉があったことに因み、片町は江戸時代に道の片側だけが町家だったことに由来するといわれます。大正7年(1918)、芝区西久保桜川町の下宿から飯倉片町33番地に転居した藤村は、ここで18年間過ごしました。
代表作「夜明け前」も、生涯で最も長く住んだこの地で生まれました。

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私が地下室に譬へて見た自分の部屋の障子へは、町の響が遠く伝はつて来た。私はそれを植木坂の上の方にも、浅い谷一つ隔てた狸穴の坂の方にも聞きつけた。 大正15年 島崎藤村「嵐」

狸穴町(まみあなちょう)

狸穴の名は、猯<まみ>(穴熊また狸)が住んだ穴があったことに因むという説のほか様々な説があります。明治5年に三春藩秋田安房守の中屋敷などを合併して飯倉狸穴町となりました。
藤村が住んでいた飯倉片町は狸穴町の西隣でした。
かつてはソ連大使館(現在のロシア大使館)があることでも知られていましたが、住居表示の実施により、その周辺は麻布台2丁目に変更されています。

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